想いは泡沫(2020.12)

 

「報われてくれ」とずっと思っている。


晦日にセンターを発表されたとき「報われた」気がした。偉そうな言い方かもしれない、でも推しの彼の努力が目に見える形で報われたと思ったのだ。
なのに、どうして。報われてくれ。
そんなことを、今年はたくさん考えていた。

 


その「波」が広がり、様々なことが延期になったり中止になったりする中で、ずっと心の奥底に留まり続けたのは「どうして今なんだ」という感情だった。

いま、2020年の末になり、今年のことを振り返って悲観したいわけでは全くない。十分に悲観したし、今はもうそういう気持ちではない。
ただ今年を振り返ると「悲しい」「悔しい」「腹立たしい」の感情は確かにたくさん存在して、この記事はあまり明るいものでないことを先に述べておく。

 

 

2019年最後の日、推しの初センター曲リリースが発表された。発売は翌年の2月28日。

国内で新型コロナウイルスの感染者が確認されたのが2020年1月17日。
1月末、タイ JAPAN EXPOに参加した時は、未知の怖さや気をつけなければいけないという気持ちはあったけれど、その「波」が自分の側にきている感覚はなかった。もちろんメンバーやオタクの渡航を心配をしてくれる友人もいた。

2月23日、平和島でツーマンライブ。写真を見ると、マスクを外して撮っているものある。この日オタクと、推しに「来週名古屋もしくは仙台で」とさらっと伝えて、別れて、そのままステージと私の、私たちの、世界は大きく隔たれてしまった。
リリースの2月28日まであと5日のことだった。5日。たった5日だ。


この時はまだ「延期」の言葉が届いた。春か夏には追い付くのでは、という思いがあった。

 

春が深くなると大きく落ち込むことが増えた。
フリラが無くなって、撮影会が無くなって、このシングルを引っ提げてのかつてない規模になるはずだったツアーの初日が無くなって。
発表があると落ち込んでいた。涙を流した日もあったし、周りに泣かないでよといった日もあったし、無理に気持ちを前向きにしようとした日もあった。
春から夏にかけて行われるツアーは段々、段々、「やらないだろうな」の気持ちが大きくなって、中止の発表に驚くこともなくなり、「オンライン」の日々を私たちは甘受した。

ジェットコースターのようだった。
中止のお知らせが来て落ち込むと、推しは動画でもブログでもツイートでも色々あげてくれて、コンテンツを貰える嬉しさや推しを思う愛しさに気持ちが急浮上する、また中止の知らせが届く。そんな日々が続いた。

 


常に前向きな推しを見ていると、嘆いている自分が情けなくなることも多かった。
そう、推しはずっと前向きだった。
接触がないなら、と個人放送をこまめに行い、踊ってみたが撮影できなければ、と手振りを一人で撮影してアップロードし、ライブが行われればその機会を丁寧に扱い、前振りと振り返りをかかさず行った。
もちろん中身だって毎回素晴らしかった。

 

ブログをこまめに更新してくれた。
オンラインでもイベントがあった日は以前のように自撮りをあげてくれた。
オタクにやさしい言葉を投げかけてくれた。
一体どれくらい撮影したかわからない在宅下のチェキ、衣装もポーズも落書きもたくさんのバリエーションがあった。

 

ずっと笑顔だった。

 

 

細やかに絶やさず何かを投げ続けてくれた。アウトプットだけでなくインプットも行いながら、ずっと何かを届けてくれた。
それでいてオタクがそれに反応することに感謝するようなことを口にする。
「みんなが反応をくれるから」と推しは言うけれど、それは投げかけてくれるからだ。

 

誰かの気持ちを推し量ることはできない、したくない。
でも例えばわたしなんかよりも、何倍も悔しかったはずだ。多くの人が喜んだセンター曲がいつものように大衆の眼に晒されることなくことなく、職業・活動の場を奪われ、そういった活動は控えなさい、という風潮の日々。
それでも、出来ないならばこれをと、腐らず、落ち込む姿を見せず、手を抜かず。

 

すごかった。本当にすごかった。
仕事だから当たり前?そんなことない。誰にでも出来ることじゃない。贔屓目なしにフォーゲルさんはすごいアイドルだと。
こうして平々凡々な私がすごいと言っても説得力がない。でも彼と接触したい人が今あれだけいることが彼のすごさを物語ってると思う。すぐに券が無くなるのは当たり前だ、とすら思ってる。だってこんなに魅力的なんだから。

 

すごさに加えて、彼は、変わったと思う。
この言葉で誤解を生みたくない。ずっと素敵だし、変わらない部分もある。でも「変わった」。
昨年くらいから「変わったなぁ」「何かきっかけがあったのかなぁ」と思う出来事は多くあったけれど、今年それは更に確信を持って言えるようになった。

 

緑推し、と呼びかけるそれは以前は「応援してくださる皆さん」であった。「緑推し」と呼ばれないことに寂しさがなかったというと嘘になるが、平等に扱うその質が好きだった。かといって緑推しと呼ばれればとても嬉しいし、まだ慣れてないので驚いちゃう。
今年何度「緑推し」って呼ばれて、心臓が跳ねたか。

 

常に丁寧であったけど、何を考えているかわからない時があった。それは舞台上の表情然り、言葉を多く発しすぎないこともそうだ。
あまり多く語りたがらないと共に、こちらの判断にゆだねられている気もした。
でも今年ステージでの表情は更に雄弁になったし、「どうしてこういう選択をしたか」を多く語ってくれた。よく「見せてくれる」ようになった。

 

自身の記念日をとても大切にしてくれたのもそうだ。
なんなら少し顔つきも変わったと思っている。前からかっこよくてかわいいけど。

 

 

「変わったね」と言うと「俺は変わってないけど」と言われる。

確かに変わったというと別人になってしまったようで私自身も違和感を感じる、ので「変わった」に代わる言い方を探していて、「より良くなった」とか「さらに素敵になった」とかいろいろ試行錯誤していたのだけど、気付いた。「Evolution for you」だったのだと。それはとても身近に落ちている言葉だった。
推しは、あの力強い曲を体現しているようなひとだった。

 

「あの人変わったね」とのフレーズだけ見るとネガティブな印象をもらうがそうではない。変化はとても嬉しい。言葉を借りるなら「変わっていく あなたの姿 どんな形よりも愛しい」、そのままだ。

 

私はずっと何を伝えたいんだろう。
リプもして接触にも参加して、それでも足りない。挙句の果てにこんなブログまで書いてる。
もちろん接触は普通に推しとの会話で楽しい時間を過ごす目的もある。でも今思うとこの1年、ずっと私は推しに向かって「あなたはすごいよ」と言い、ワールドワイドウェブで「推しはすごい」と独り言を放っていた。

 

私が、私なんかがいう言葉に重みはない。
でももっと伝わってほしかった。「フォーゲルさんはすごい」。
褒められて欲しいし、評価されて欲しいし、もっと多くの人に見て欲しいし、夢が叶って欲しい、報われて欲しい、幸せに過ごして欲しい。
どうか、どうかあなたにも、周りにも伝わって。
もし今年思うように活動が出来ず喜びが減ったのであれば、多くの人に「凄い」って言われて幸せな気持ちになって。この彼の努力の凄さが仕事や成功という形できちんと彼に返ってきて。お願い。

 


「報われてくれ」とずっと思っていた。


久しぶりの客入れの現場、「全部報われるって信じてます」とリーダーは水分量の多い眼で言った。
そうだった、私が願う必要もなく、彼らは報われる。
努力すれば必ず成功する、なんてことは言えない。
でも彼らの努力は彼らが一番知っていて、彼らが報われるというなら、それはそうなのだ。

 

 

しつこい私はやっぱり許せない。
リリースのタイミングと感染拡大のタイミングがかぶったこと。
神様のせいでもウイルスのせいでもないと思うけど、この状況を確かに今でも恨んでいるし、このさき物語の結末がどんなにハッピーであろうと、推しがなんとも思ってなかろうと、私はこのことを忘れないと思う。

 

でも、今年さらに推しのことを好きになったのも事実だ。
いわゆる「モチベ」が下がることは、晩秋まで全く無かった。
Twitterの浮上率や周りを見ていても離れる人がいるのを感じずにはいられなかったけど、自分に関しては全くそこはぶれなかった。だって好きなのに離れられるわけがない。


「当たり前」が崩れた。「こんなことすら出来ない」と思う日々が続き、対応を変えたり、諦めたり辞めたりする日々が続いた。
でもその中で推しのことを「好き」だと思う気持ちは変わらなかった。むしろ増した。増してしまった。
現場が大好きなオタクがこれだけ現場がないなかでも想い続けるなんて、なかなか相当な想いだったんだな、って今更気づいた。
ここまで「人を想う」ことを続けられたのは、そう思わせてくれた推しと、周りにいるたくさんの「人を想う」人たちのお陰だ。

 

 

どうやら最後に残るのは「人を想う」=「愛」のようだ。
病める日も沸ける日も、現場に足を運べなくても、チケットが取れなくても、きっと想う限り続くんだろう。