あのゆめがかなってほしくて

 

 

 

げるたんへ

 

フォーゲルさん(とめせもあ)は今まで出会った中で一番応援したくなるアイドルだったなぁって思ってて。
何か応援ができてたわけじゃないんだけど、こう夢が叶って欲しいとずっとずっと自然に願えて。
それは出逢ってどんどん好きになる時もそうだったし、パシフィコに進んでる時もそうだったし、今よりもっと厳しいコロナ禍だった時もそうだし、卒業発表してもそうだし。

で、この武道館っていう「叶って欲しいな」って夢をいつも、こう具体性を持たせてくれたというか。
私が、私たちがそれに参加させてもらえるんだってグっと思わせてくれたのは、
カルカルで最後に生誕やった時の「ダンスソロが欲しい」とか、
武道館が決まって嬉しいけど、その先に卒業も見えるんじゃんって思ってしまってた時の昨年の生誕祭の言葉とか。
いつもフォーゲルさんの言葉が武道館というめせもあの夢に私たちを、こう巻き込んでくれたなと思っていて。

お陰でとっても楽しみだし、〇〇市在住で一番楽しみにしてる自信があるし、ここまでも楽しかったし、中身のことはとっくに絶対楽しい確信があるから。
げるたんとみんなにとって10年分の夢を噛み締めることができる善き日になることを祈ってます。

 

 


これは武道館前の最後のオンライン特典会で推しへ伝えたことの原文。
スマホのメモに残したままだった。

ここからがつっと削って、大事なことを少し加えて、自分の口語にして。まぁ大筋は変わらない。
これで、早口が得意な(辞めたいんだけど)自分のスピードで50秒ほど。

 

会話に関しては、普段は伝えたい・話したいことがあっても書かない。
主題か、自分にとってのサビやパンチライン的なのを頭の中に入れておくことはあっても、あんまり決めずに臨むほうがあってる。
ただ今回は「武道館」という事柄を前にした時に、自分の心と頭の中にあまりにも想いが散らばりすぎてて、それらをかき集めて整頓する必要があった。*1
これが全てかと言われるとそうではないけど、ただその整頓は意外と早く片付き、今、自分が推しに伝える「べく」と浮かんだのはこんな言葉だった。

 

 

「みんな一緒にノってこーい!」が

推しの自己紹介の冒頭なんだけど。

そうなんだな、と思う。


2019年8月。
パシフィコ横浜公演の直後の生誕祭で、推しが語った目標の中には「武道館」というワードがあった。
個人的には、その当時推しがやりたいことや目標を公言するのが(しかもグループの話の領域で)珍しく感じ、とても驚いたと共に、「それほど果たしたいと思っていることなんだ」と私の中の「武道館」がグッと質量を増したのだった。


この日に、この場で、ここへ向けて話してくれているというのなら。絶対叶って欲しい。それを私も絶対に見たい。
この日から、「グループでの日本武道館 単独公演」という目標の隣に、この推しの夢が必ず添い、そしてそれを見ることが私のひとつの小さくて大きな目標になった。
その後、彼のダンスが・パフォーマンスが進化するなかでも、ずっとずっと心の底にこの言葉はあった。


そこからおよそ3年の月日が流れ、2022年5月「グループでの日本武道館 単独公演」決定の知らせが届いた。
その3年は、どう考えても順風満帆な道ではなかった。5で途絶えてしまったナンバー、私が知っていること知らないこと、色んなことがあった。あったはずだ。
決定はいきなり訪れたかのように見えた。
でも忘れない、あの立川のホールのスクリーンに「日」の文字が見えた時、もう自然と歓声が出た。
「日」だけで日本武道館を確信できたのだ。この3年はその1文字目を待つ日々でもあった。


武道館公演決定のお知らせからおよそ1か月後には推しとリーダーの卒業が発表された。
それについて色々考えたりもした後、すでに気持ちは前を向いた7月、私はチケットの最初の手売りを楽しみにしていた。
手売りで推しお話ができるのもそうだけど、なにより推しの手から武道館のチケットを貰いたかったのだ。

チケットをもらって、話の中で「19年の生誕祭で話した目標が見られるチケットだね」と話すと、推しは「いや今の段階でできるとは限らないからさぁ」と答えた。
ちょこぉっと。拍子抜けしたのが正直なところだった。
でもよく考えれば、実際に決まるとなると構成も見えてくるだろうし、9人のステージがもちろん大事だし…。などと考えながら帰宅した愛知の夜だった。

 


その1か月後には推しの生誕祭が行われた。
その前年に行われた生誕祭では曲やステージで想いを伝えてくれた印象だったけど、この年は曲のみならず言葉でもたくさん伝えてくれた。

「みんなも俺も武道館に立つ道筋は一緒だと思ってる」
「みんなが見たい俺は武道館に居る」
「俺が居たかった景色に居てください」
そして3年前の生誕祭とほぼ同じ言葉たちで武道館での推し自身の夢について話してくれた。

 

武道館から心が離れたわけではなかった。
ただ卒業発表という大きな出来事があり少し曇りがかって見えたり、手売り販売が続き武道館が迫る日々の中で思うことが募るたびに、私自身「武道館は自分の夢じゃなくて、めせもあの夢なんだから」と自分に言い聞かせることが何度かあった。下手に混同してはならないと思った。
そんなタイミングで推しは「自分の気持ち・希望」を言葉にするという形で、その中にオタクを存在させてくれた。
夢も変わらず、ただやりたいとは言えても、不確定なことは言わないのが推しだった。

 

ずっとずっと楽しみではあったけど、ここまで言われて推しがどんな推しを見せてくれるのかが楽しみになったし、そして純粋にこの人の・この人たちの夢が叶うところが見たい、という出発点に立ち直った。

 

きっとどちらの生誕祭での言葉も推しからしたら、節目の目標を伝えるくらいの気持ちだったかもしれない。でもわたしにとっては大きな言葉だった。


例えばオタクをしていて「武道館に向かう姿がかっこいい!」と思ったり「目標に向かって頑張ってね!」と声をかけたくなる気持ちが生まれるとして。
それくらいの気持ちを、自分の、私の「叶える夢リスト」のひとつに「フォーゲルさんとめせもあの夢が叶う」を入れるほど、自分ごとと(近く)して捉えられたのはいつも推しの言葉だった。
いつも、みんな一緒に、やさしく、巻き込んでくれる。置いてかない。

 


めせもあは、ファンをしていて、今までで一番「応援している」と心情・実感ともに思えるグループでした。
それは単純に規模感のことなども含むかもしれないけど、個人的にはメンバー皆のキャラクターや言動がだいすきで、愛おしく、親しみをもてて、そして目標に進んでいく姿を間近で見せてくれる・見ることができるのが大きかったと思える。
適度な距離感で、夢に向かって進むめせもあを定期的に見る「応援する」ことはハイパー烏滸がましいかもしれないけどその夢に添わせてもらってる気持ちがあった。
みんなが大好きだからみんなの夢が叶って欲しい、と純粋に思えた。


これがわたし自身が応援する中で武道館を感じていった歩みの一側面なんだけど、きっとこんな気持ちや経緯がめせもあを応援する人たちの中に、サイズ形はバラバラで、それぞれ存在しているのではないかなと思う。
9人の、みんなの、

想いを乗せた武道館で、逢いましょうね。

 

 

 

P.S.
当日が晴れだろうと雨だろうと、その願い事はちゃんと届く。
その夢はげるたんにしか叶えられないよ!

 

私はあなたの夢が叶うことで、あなたのここまでの日々を、選択を、感性を、さらに尊びたい。

 

 

 

 

 

*1:そういえば、こうして文字に起こしたのは卒業発表に対する自分の想いを推しに伝えさせてもらって以来だった。