うるう年まで 掘り起こして

 

 

「烏合之衆のリリイベ」というトピックは、ふとした折にオタク友達との話題にあがったり、自分の中でもはたと思いを馳せる一件だった。
「緑推しにとっては待望でしょ」と優しく言ってくれた友達もいたし、実際に撮影会が中止になった当時の自分のツイートを見ると「この撮影会は私にとっていつもの撮影会ではない。私が取れた分のチケットそのまま残してくれ!」とか強い思いを抱いてたんだなぁと、我ながら思う。

 

「烏合之衆のリリイベ」について日々の中、思い出してはちまちま考えて、だいたい昨年の夏くらいだろうか。

「烏合之衆のリリイベを絶対に完璧な状態でやって欲しい」

「コロナ禍でも自分達の道を進もうとしているグループの流れに棹を差したくない、このままでもよい」

の両方の気持ちが自分の中にあることを確認した。


烏合之衆は自分にとって、とても特別だ。
この感情をうまく説明できず悔しいんだけど、
特別だからこそ自分の中で大切に大切にして、そして他の楽曲や事柄と同じように扱いたかった。

確かにコロナ禍に真正面からぶつかり、リリイベは中止になった。ファンがそのパフォーマンスを生で初めて見たのはリリースから9ヶ月後のことであったし、今でも生でパフォーマンスを見たことない人がいる。

どうしようもない情勢に阻まれたのは事実。でも烏合之衆はリリース前から、多くの人に大切にされてきたと私は思っている。

センター発表時にはあれだけ多くの人から拍手や歓喜の声が上がった。
ツアーに向けてでもあっただろうけど、練習後やMV撮影時にはメンバーが動画を撮影してくれた。
踊ってみた撮影の無音配信があったり、竹下通りに広告が掲出されたり、MVのTeserも用意された。
フォーゲルさん本人がTeserとMVを見るファーストリアクションの動画が出された。

今だから言えるんだけど、当時これだけやってくれて嬉しい!嬉しい!の思いとともに、こんなに特別な感じにしてくれちゃうのなんでなの…今までDVDで歌割でも抜かれてないとかそういう分のお返し…何…記念みたいなの嫌よ…?と勝手に不安な思いも抱いていた。捻くれてるゥ!

 

その後もしばらく烏合之衆は新曲として長いオンライン期間で必ずといって良いほどセトリ入りして。
2021年5月の初めての幕張メッセでのコンサートという大きな舞台で大事な場面・コンセプトにこの曲があてがわれた。
烏合之衆が新曲ではなくその曲の特色を活かしてセトリ入りしたのがとても嬉しかったのを覚えている。


「烏合之衆のリリースイベント」に固執しすぎて、これだけ大切に扱われてきた(と個人的に感じてる)事実や、ほかのフォーゲルさんやめせもあ皆が作りあげてきてくれた楽しい時間を見失いたくなかった。何より烏合之衆をかわいそうな曲にしたくなかった。
 
フォーゲルさんもめせもあも、この2年の難しい期間、様々な場面で楽しい時間をたくさん作ってくれた。
オンラインで様々な魅力を見せてくれたし、オンラインでも対面でも接触は楽しく、時間を割いてくれての配信があったし、昨年夏の「LOVE BLOOD」ツアーは個人的にとても好きなコンセプトのツアーだった。
これらも私にとっては烏合之衆とまた別の枠で、同じくらい大切なものになった。

彼らはコロナ禍であろうと前を向いて進もうとあがいたり、進んでいる。
未来に進んでる中で、そこに2年前のことを振り替えて行うことは邪魔になるのではないだろうか?という想いもあった。

「絶対やって」「やるのは大変だろうな」どちらの気持ちも私にとって正直な強い思いだった。
その結果たどり着いたのは「どっちでもいいや〜〜〜」「いつかはやれるやろ〜〜〜」。とてもライトな気持ちだった。
薄情に思われるかもしれないけど、日々に向き合ったり楽しんだりしてる中でここに依存する必要もないし、明るく考えたかった。

 

そんなことは忘れて日々を生きているなかで、
いや、忘れてというかそのライトな気持ちをふわふわと浮かしたままで
ふとそのことを思い出したのは昨年のカウントダウンコンサートでのとみたけさんの挨拶であった。

正確には思い出せないけど
「センター曲をリリースできて、薄桃推しにもその他の推しの皆にも祝ってもらえた」という言葉を含む素敵な挨拶だった。

そこでふと思いだしたのだ。「烏合之衆はどれだけの人にセンターおめでとうと直接言ってもらえたのかなぁ」と。
本当にマイナスな気持ちは全くなく、ふと「烏合之衆のリリイベ」についてはっきり思い出したのだ。

そのとみたけさんの挨拶からどのくらい後のことだったであろう。それは年末恒例の「来年のお知らせ」のコーナーだった。 

まずは年始からの配信ライブ、バレイベホワイべが発表された。
次に待っていたのは「リリース記念地方フリーライブ決定!」だった。
なんのリリースだ?その頭に「烏合之衆」の文字が見えた。

流石にびっくりした。ここで、ここでか!いやさっき思い出してたけど!

 

その日は仕事を必死に終えて水道橋に辿り着いたこと、そもそも友達と一緒にカウントダウンを過ごせる喜びや様々な嬉しいことで気持ちがふわふわしていた。ライブの内容もとても素敵で、見たかった景色やこの夏見てもう一度見たかったものをよく見ることが出来た。
そこにこのお知らせが来た。

カウコンで楽しくて念願の発表があって……
いやこれはまるで、2019年の12月31日みたいじゃないか。

その気持ちに気づいた時、胸の奥から押し出されるものがあった。その日は席が良かったお陰で、泣いてるのを見られたく無いという思いが強くて(誰も見てねーよオブザイヤー)(大晦日なんですKANCHIGUY見逃して)慌てて下を向いた。
下を向いたら隣から「良かったね〜〜〜」の声と共に温かな、本当に温かな手がわたしの背中をさするのを感じて、それで止まらなくなってしまった。
たぶん10周年ツアーのお知らせはきちんと見ていなかったと思う。
発表が終わってとみたんが「緑推し大号泣ですよ〜〜」的な言葉を言った時も止まらず下を向いていた。
でも最後には前を向いて楽しいカウコンを終えた。楽しかった。楽しかった!

 

この時確かに涙が出たんだけど、それはびっくりしたこと、あまりにも2年前の大晦日とかぶったこと、あと友達の優しさに涙が出たのだった。
きっと「やっとリリイベが出来る!」までの実感に、この時の私は達していなかった。

 

1月になると新たな「株」が出てきて猛威をふるった。この2年で延期にも中止にもある意味慣れたけど、でも、無事に開催されてほしい。

 

無事に初日が訪れた。
事実だけ見れば2年待ったのであろうが、「満を持して」みたいなそんな実感がないままに私のリリイベは始まった。
最初の地であった仙台では、推しに「当時は物凄く悲しくて悔しかったし、今やっと!っていう気持ちも強くあるけど、2年の間たくさん楽しいことを作ってくれて烏合がフィーチャーされる機会もあって、今こうしてリリイベまでできてボーナスタイムみたいって気持ちだ」と伝えている。
思えば楽しいことが始まった!今日も推しありがとう!くらいの気持ちだった。

 

大阪で特攻服衣装でのパフォーマンスを見た時だった。
推しがこの衣装で踊るのを生で見るのは2年経ったがこの時が初めてだった。
たっくんがそれぞれに選んでくれたアーミー衣装ももちろんのこと、でもこの服は曲のコンセプトに合わせたような象徴するような衣装だ。
のっくん曰く「刺繍は高いで!!!!!!!!!!」だし。それはそう。豪華な衣装だ。

 

曲が始まる。
その衣装を身にまとい、「なんせ我ら烏合之衆!」で推しが翻り両手を伸ばし背中を見せた。
そこに「フォーゲル」と力強く書かれてるのを見たとき、とある気持ちが昇ってきた。
「これすごく見たかったやつじゃん!」と。そうだ、忘れてた。忘れてたというのは悔しいけど、少なくとも自分の心の中の積読の下にある本だった。
わたしはこれを見たかったのだ。
目が潤みかけるのを認識したけど、いやこれは駄目だぞ、と目をかっぴらいた。これすごい見たかったよね、ならあんたしっかり見たほうがいいよ。
湧き上がるものを飲み干して、しっかりと最後まで見ることができた。

 

景色を見ることで、わたしはやっと自分にとって念願であることを思い出していた。

 

そのあとの小倉では2年ぶりの商業施設でのフリーライブを開催することができた。しかもオープンエアー。寒かったけど嬉しかった。
小倉は個人的に思いがある場所でお城の前で烏合之衆を見られてうれしかった。
東京・池袋サンシャインはやはり聖地で特別であったし、愛知・金山は本来リリース日の2020年2月28日に行われる予定だった場所だ。辿り着きたかった場所。


忘れていたというとまた薄情に思われるかもしれない。いや、シンプルに私は馬鹿なんだと思う、喉元過ぎればすぐ熱さを忘れてしまう。

その事実に加えて、わたしの推しと推しグループは2年間楽しいもの・心揺さぶられるものをたくさん作り続けてきてくれた。
この2年間オタクする中でたくさん泣いたり笑ったりしてきた。心を焦がすもの・ことがたくさんたくさんあった。
推したちがくれるものをなるべくまっすぐ受け止めてきた(抱えきれないと零したことも多かったけど)し、自分においてはそのくれた楽しみを自分と周りで更に増幅させられたらいいな、楽しいことをもっと楽しもう!という気持ちでオタクしてきた。
その思い出たちが心に降り積もり、「烏合之衆リリイベ」への思いは少しだけ見えにくくなっていたかもしれない。でも確かに心の中に殺させずにあった思いだった。
2022年2月から3月のこのリリイベはその思いを掘り起こすような日々だった。


2年待ったという感覚は薄く、フォーゲルさんやめせもあが連れて行ってくれる楽しい時間やモノを追いかけていたらここにたどり着いたような気持ちだった。
2年前「おめでとう!」と言うつもりだったけど、2年経ってそこに添えたい「ありがとう!」がこんなに膨らむとは思わなかった。
ありがとう、2年間楽しかった。おめでとう。


こう前向きな気持ちで今いるのは、推しと周りのおかげ。あと2年前に本気で悔しがった・悲しんだ自分がいるからだと思う。
この2年間きっと周りから見て醜く美しくはなかったと思うけど、変に俯瞰したりひねくれたり我慢したりせずその時出されたものにまっすぐ向き合ったし、自分が感じたことに正直にいたし、思ったことを行動に移してきたと思う。2年前の自分、引くぐらいまりものように気持ちの浮上下降をしてくれてありがとう。

 


推しはこの曲を「背負う」、と表現した。いま自分で打っても重い言葉だ。
この背負った2年で色々な烏合之衆を見てきた。緊張感あふれる初期の披露も、幕張メッセで大ボスを倒す曲となった時も、手に馴染むようになりセットリストの盛り上げる位置にこの曲が入った時も、いつでもこの曲は力強くいつでも先を照らしてくれるようだった。
この2年でサビの「咲き誇れ 亜細亜」の咲き誇り方は時ますます深くなるし、1サビ2サビラスサビと段々ボルテージアップを意識していた「革命前夜祭」は最初は一生懸命歌唱していた印象があったが、いまは難なく歌っている。まるでダイヤが磨かれていくさま、更に強く美しくなった烏合之衆を全国で見てもらえたことも感慨深い。
あの日に掲げた言葉を折ることなく推しはずっとこの曲を「背負い」続けてくれた。

 

その年はうるう年で、そして首都でオリンピックが行われる予定の年だった。
オリンピックが開催できなくなったことで、自分は中期的だった夢の達成を失った。
なぜこの仕事をしてるのかよくわからないまま過ごした日々があり、仕事へ足を運ぶのがつらい朝はこの曲を聴いていた。一歩進むための力にしていた。

 

推しが2年間ずっと背負い続けてくれたこの曲は、これからもたくさんの人たちに力を与えるだろう。
そして自分以外のオタクに言及するのは野暮で失礼かもと思いつつ、わたしには一緒に並んでこの曲を見たい人がまだ居る。
今のこの世界の状況は夜が明けるように変わるのではなく、挑戦と諦めを繰り返しグラデーションのように新しい基準ができていくのだと思う。
まだまだ舞いたいし、舞う推しを見ていけたらいいなと思う。

 

 


特攻服での烏合之衆を見てから、ふつふつと湧く想いがあり、どこかでまとめたいと遠征先やふとした時間にメモしていた。
けどあまりにもバラバラでどうしたもんかな、と思っていたら今朝、推しがブログをあげた。
TLの反応を見て、好きな人に感化されやすいマンな私は早急に自分"だけ"のオートクチュールな想いをまとめたいとキーボードをたたいてる。
よし、これ書き終わったらブログが読めるぞ!!!!!!